〜地域防災講演会〜

    (公財)三重県建設技術センター主催、三重県、津市後援による

   「豪雨災害から身を守るために 〜災害復旧支援活動から学ぶこと〜」を

   10月19日(木)津市「アスト津 アストホール」にて開催しました。

  当日、天候の悪い中、地元津市ほか、周辺の市町から165名の方にお越しいただきました。

   第一部 「台風・大雨に備える」

           津地方気象台  気象情報官  大谷 智也さん

尾鷲市はなぜ降水量が多いのか。年間に4000ミリ弱の雨が降る。平坦地、都市部(津市、四日市)は少なく、盆地の伊賀は特に少ない。これは、山の影響。南から湿った空気が入ると高い山にぶつかって上昇する。上には冷たい空気があるので、暖かい空気とつめたい空気がぶつかりやすいところと地形の影響のせいで、尾鷲は多い。これにあわせて気象レーダーを見た。大雨をもたらす気象現象は台風や秋雨前線、大気の状態が不安定ということがある。

最近は、極端な雨の変化傾向が見受けられ、非常に激しい雨、大雨の頻度は増加傾向にある。これは温暖化の影響。普段の日に雨が降らず、まとまって降るようになっていて、日本近海の海面水温も温暖化の影響で変化している。

台風について、北西太平洋に存在する熱帯低気圧のうち最大風速が17/s以上になったものをいう。アメリカ等ではハリケーンやサイクロンという。30年間の平均では、発生するのは25.6個、沖縄などに接近したものを11.4個、上陸数は2.7個となっている。今年の台風の数は、21個。昨年は1〜6月まで発生せず、7月から4個、8月7個、10月4個、11月3個、12月1個と26個となっている。昨年は、東北太平洋側や北海道へ上陸したが、これは初めてのことだった。

過去の台風と今年の台風を比較分析すると、分かりやすい。台風がきたら備えてほしい。

大雨による主な災害は、土砂災害、浸水害、洪水害がある。土砂災害は、一番が一番危険。短時間の雨が増えている。大雨の警報基準が変わった。雨が降って水分がたまって、山では浸透するが、アスファルトでは残ってしまう。こういうことから3時間ごとに情報を出すようになった。

情報が出たら、早目の準備をする。また市町からの警報などが出た場合は、速やかに非難をする。夜など避難できない場合は、垂直非難つまり2階などへ非難する。普段から、ハザードマップを見て、確認しておく。

最近の台風や大雨は大きな災害をもたらしているので、台風などの場合は、飛ばされそうなものは固定したり、家の中に入れる。非常用品の確認、懐中電灯、ラジオの電池の交換などの準備をしてほしい。

大谷さんより、専門的な知識を教えていただき、今後の災害に備えたいと思います。

   第二部 「災害から命と暮らしを守るために」〜 支援活動の現場から〜

    認定特定非営利活動法人レスキューストックヤード    常務理事 浦野 愛さん

  最近の雨の降り方が変わってきており、被害も大きくなってきている。隣近所で助け合うには限界がある。自分で直後にやらなければならないこと、地域で協力してやっておくこと、外部からの支援が来たときにやること。日ごろからどんな準備をしておくのか、考えておかないと対応が遅れてしまう。過去の災害でどうだったのか、これからどうしていくのかイメージできるようになれば。

災害ボランティアセンターは全国各地からきたボランティアが集まるところ。今までは、社会福祉協議会が窓口になることが多い。地域の中で、支援をしてほしい人の情報が普段から知っているということから窓口になることが多かった。しかし、協議会の職員も被災者の一人で、難しいところもある。それを助けるために他県からくるNPO団体がある。

2000年の東海豪雨災害。1時間で97ミリ。浦野さんも被災者となった。この時の雨は、息苦しくなるような猛烈なもので、雨がつながっていて迫ってくるような恐怖感を覚えたという。名古屋市だけではなく、被害が酷かったのは、新川が決壊したので、その周辺の地域(西枇杷島町等)が被害を受けた。自衛隊、消防隊がゴムボートで助けてくれたが、2名の死者が出た。一人は消防団の人。足元のマンホールが抜け、水で見えなくなってその穴に落ちて亡くなったという。※1 東海豪雨

水害には内水氾濫と外水氾濫がある。

・内水氾濫は、排水溝からあふれて浸水が始まる。水が引けば泥が残らない。近くに川がなくても浸水する。

 ドアを閉めてしまうとその家が被害に遭っているのかどうか分からない。東海豪雨では、外国人の家族がアパートで被害を受けながらも子供たちと暮らしていたり、高齢者も濡れた畳にブルーシートを引いて机の上で生活していたことが、一週間後に発見されるということが起きている。

・外水氾濫は川が増水して浸水する。川が決壊、増水したりして起こる。水が引くと泥が残る。

東海豪雨で被災した方のデジタル紙芝居を見た。

内容は、重度の心身障害者のお子さんがいるご家庭の話。愛知県西枇杷島町で住んでいた。これまで大きな水害はなかった。ある日、仕事先で大雨に遭い、帰宅しようと車で出るが渋滞していた。帰宅後、玄関の所まで水がきているにも関わらず、避難しなかった。重度心身症のお子さんのためと思い、避難所への避難を諦めた。深夜、組長が避難を促していたが、避難指示と避難勧告の違いが分からず避難しなかった。結果、深夜3時頃家に浸水してきたため、車で近くのショッピングセンターへ避難した。567ミリの大雨により、新川が決壊し海と化している。12時間後、自衛隊のゴムボートに乗せてもらい、名古屋市の中学校へ避難。そして、普段使用している福祉施設にいき、のち24時間対応可能な施設へ移動した。もっと早くに避難していれば、もっと災害に対する準備があればと後悔している。いざというときに助けてくれるのは地域の人。地域の人もお子さんの障がいで遠慮していた。もっと分かってもらえるように交流をはかるべき。障がいがある家族はなかなか周りの人に助けを求めることをためらう。被災者の家族は、「もっと、言えばよかった」と。

その時、避難行動に手助けが必要だった人は、聴覚障害の方や、外国の方、知的障がい児のいるご家族等、ご高齢の方。乳幼児がいる家庭も一度避難したが、戻ってきたりしている家族も。

情報と避難行動はとても重要。避難指示はもっとも危険。避難勧告は指示の手前。東海豪雨の後、さらに避難準備高齢者等の準備情報は、避難に時間がかかる高齢者や子供のいる家庭や障がい者。非常持ち出し用品を持ち、玄関で待っていた高齢者もいた。解釈の違いが問題。情報をきちんとキャッチできれば、取り残されるということがなくなるのでは。ただ情報をキャッチしても、どう行動するかが大事。避難行動で有名な大学の先生によると、災害で亡くなった方の割合は屋外は74%、屋内26%でなくなっている。

兵庫県で平成21年に起こった土砂災害で、川沿いの町営住宅に住んでいた4人家族は、避難場所が橋を渡った反対側にあり、水かさがひざ下まできている状態で避難を開始した。川に流されないように、4人をロープで結んで、橋を渡ったところで鉄砲水に遭い、流されてロープを結んだ状態で発見され、4人全員亡くなった。浸水している場合の避難は命の危険が高い。避難場所が川の向こうであったとしても、町営住宅なので垂直避難する、2階以上の家に避難させてもらうなどの対策を考えなければならなかった。危険を冒してまでその避難所へ行く必要はなかったという判断をできるようにしたい。

2階に住む町営住宅の60代の女性は、1階に住む90代の女性を浸水しかけていた部屋から避難した。避難した場所は、高台にあるアパートに住む友人の家に避難した。普段から話をしていたことで助かった。必ず避難する時は避難場所へではなく、避難するタイミングで避難場所を決める。家族で確認しておくことが必要。※2 平成21年台風9号による佐用町河川災害

岡崎市で起こった水害では、近くに伊賀川という川があり、住宅は川より低い場所にあり、そこで区長をしていた男性は、近所に障がいのあるご主人と二人暮らしのご夫婦を思いだし、腰まで水につかりながら助けに入ったが、奥さんの方が頑として動かず、仕方なく障がいのあるご主人を近くのアパートからロープで救出した。奥さんは、ここまでは来ないという考えで説得に応じず、水が天井まで達して亡くなった。周りの人が危険を察知しても救出できない場合がある。区長さんは、殴ってでも連れて来ればと後悔している。※2 平成20年8月末豪雨

同じ間違いを繰り返さないためには、自分がどういう場所にいるのかを確認する事が大切。マンション等の高層住宅は、垂直避難できるかどうかを確認しておく。2階建ての住宅は2階へなど垂直避難するのか、避難場所へ避難するのか、避難するタイミングで決めてほしい。

阪神淡路大震災では、77%の人が近所の人が助けた。助けられた要因は近所だったからだという。※3 阪神淡路大震災

東日本大震災でも、地震の後、70代の女性は逃げずに、地震で倒れた家具等を片づけていた。たまたま消防団の人に声をかけられて我に返ったという。その時、誰か他に一人でいる人はいないかと聞かれ、近所に住む一人暮らしの足の悪い高齢者を思いだし、消防団と共に救助に向かった。その高齢者は、一人ベッドの上で動けずにいたという。消防団の人と70代の女性と高齢者の3人で車で避難することができた。消防団が70代の女性を声をかけなければ、70代の女性は一人暮らしの高齢者を思い出すことはなく、2人の助けることはできなかった。避難のタイミングを逃さない。近所の人からの声掛け。これが一番大事。 ※4 東日本大震災

危険情報の理解があって近所の人からの声掛けがあれば、すぐに避難することができる。率先避難者を増やすことが大事。今避難しないとダメだよという人がいれば、他の人もついて行く。その時に周りにいる人、地域の人が大事。信頼関係が大事。逃げる場所も大事。お互いのことを記憶する。避難行動訓練を年1〜2回しておくことが大事。被災者の方からボランティアに多くの人に伝えてほしいと言われた事。

東海豪雨の時で、生活再建するまでに半年かかっている。災害ボランティアの協力が大事。受け入れる地域の力、受援力が高いほど生活再建が早い。なぜ必要なのか。近所の助け合いにも限界がある。一人一人の対応が行政では無理。災害ボランティアが生活などを支えることができる。

九州の豪雨災害では、山からの土石流によって、田や果樹園を破壊した。家の中も寝室も使えない状態。ボランティアが、家の中の土をかき出し、それをまた別の場所に移動することの繰り返し。家の中の土はなかなか取れない。何回も拭いて履いてを繰り返す。現在も九州で活動している。

災害ボランティアセンターが被災地で開設され、そこへ来たボランティアが道具などを持って片づける。水も電気もガスも使えない状態で、家の中を掃除しなければならない。一人では限界がある。ボランティアが来てくれれば、作業が進む。以前、紀宝町でも被害を受けた。区長さんもコーディネーターとしてこの地区には何人くれと言い、ここは何人と振り分けてくれる。たくさんのボランティアが入ることで作業が進む。これが受援力。普段から地区で受け入れる体制も整っているか確認が必要。民生委員や区長が情報を提供することで円滑に作業が進む。避難生活が長引くと、色々なスタイルが増えてくる。ビニールハウスや納屋などで生活できる。場所がない人は、駐車場等で。駐車場などでは車での車中泊が増える。車中泊をすることでプライバシーは守られるが、エコノミー症候群を起こすこともある。また今日そこにいても明日にはいないということがあるため支援が届かないことがある。

その避難生活がきっかけで災害関連死が増えている。災害関連死とは、建物の倒壊等の直接的なことが原因ではなく、避難生活での体調不良や過労など間接的な原因で死亡すること。阪神淡路大震災では200名位の人がなくなっている。9割が60歳以上の高齢者。肺炎が多い。東日本大震災では、1600名位の人がなくなっている。8割の人が60歳以上の高齢者。ストレス等が原因。熊本地震でも同様に180名近くの人がなくなっている。8割近くの高齢者が亡くなっている。災害関連死でなくなる方の割合は高齢者が高い。原因が肺炎が多い。持病や障がいのある健康にリスクがある人ほど起こりやすい。避難所開設当初は、雑魚寝状態。プライバシーがない等がある。開設は行政が行うが、運営は被災者も行う。避難所が長引くのは地震だけではない。この頃の雨は尋常ではない量が降る。

一旦逃げる場所から生活の場所へ切り替わるときが来る。避難している人の数を把握することが重要。これは地域の人の協力が必要である。

 

第一部で専門的な知識を学び、第二部では普段から家族で避難場所等について話し合い、情報を的確に判断できるよう知識を持ち、水害等から身を守ることを学びました。被災後の避難所運営や、家の片づけなど、被災後の生活再建がすみやかに行えるように、普段から地域住民との交流も大切だと学ぶことで今後の災害に備えていきたいと思います。

 

(豆知識)

※1 東海豪雨

2000年9月11日から9月12日を中心に愛知県名古屋市およびその周辺で起こった豪雨災害(水害)。東海集中豪雨ともいう。都市水害の恐怖を実感させる大きな被害で話題になった。

※2 平成21年台風9号による佐用町河川災害

2009年8月8日に発生した台風9号により、8月9日から10日にかけて発生した豪雨は、兵庫県内播磨北西部から但馬南部にかけて記録的な大雨をもたらし、佐用町を含む兵庫県北西部では、洪水氾濫、がけ崩れ、橋脚の流出などに加えて死者18名、行方不明者2名を出すという大惨事。家族で避難途中の排水路に足をとられてしまったものと考えられ、浸水深は70センチメートル程度であった。2階へ避難しておられたら被災はなかったはずであり、避難所のあり方、避難経路、あるいは避難しない選択など、さまざまな問題が提起されることとなった。同じ地区で8名の方が亡くなっている。

※3 平成20年8月末豪雨

8月28日から30日にかけての大雨は、日本列島を縦断する形で停滞していた前線の影響により、南からの湿った空気が愛知県の全域に流れ込み、次々といたる所で雷雲を発生させ、県内各地で時間雨量100mmを超過し、特に岡崎市にいたっては、29日未明には時間雨量146.5mm(気象庁岡崎観測所)と観測史上最大の猛烈な雨を記録し、各地で河川氾濫や内水などによる甚大な浸水被害をもたらした。

※4 阪神淡路大震災

1995年1月17日に発生した兵庫県南部地震による大規模地震災害のことである。5時46分52秒、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡を震源として、M7.3の兵庫県南部地震が発生した。近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府京都府も)が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市市街地(東灘区灘区中央区三宮元町ポートアイランドなど)・兵庫区長田区須磨区)の被害は甚大だった。

※5 東日本大震災

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である

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