(公財)三重県建設技術センター主催、伊勢市、三重県県土整備部後援による
「あの日を語ろう、未来を語ろう」を1月25日(金)伊勢市「ハートプラザみその」
にて開催し、地元伊勢市御薗町の住民、御薗小学校、御薗中学校ほか361名の
皆様にお集りいただきました。
講師には、スマートサバイバープロジェクト 特別講師 佐藤敏郎さんと
学生語り部 木村圭さんをお迎えし、お話をしていただきました。
講演の第1部は、佐藤さんと木村さんの掛け合いによる講演となりました。
子どもたちの素直な思いが詰まっていたという。
母を亡くした子どもの俳句。「逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて」
兄弟を亡くした子どもの俳句。
・5月「青い空 見まもっていてね いつまでも」
・11月「青い空 こっちは元気で やってるよ」
毎年、8年経った今でも俳句を女川町では俳句を詠んでいるという。
A避難できるまちづくり・・・いざという時に避難できるようリアルな避難訓練
女川町は海の街。海を嫌うのではなく、共存できる街にするために、観光客でもわかるようにする。
B記録に残す・・・震災遺構は残したい。戦争遺構と同じように知るきっかけとして、震災のことを
見て理解できるように残したい。そして以前から石碑はあった。ただ、道路拡張工事などで石碑が
動かされてしまった。石碑には、「ここから下に建物を建てるな」と書いてあった。これでは意味が
ない。正しい記録、津波の到達点の記録を残すために、女川町の21箇所すべての浜に石碑を建てようと
している。現在18か所の石碑が竣工している。残り3か所についても、建てていくことになっている。
すべての石碑建立には、1千万以上かかる。石は地元の石材店が寄付してもらったが、刻字するためには
1千万以上かかる。それを女川町住民の寄付により、約半年で集めた。
石碑には、「千年後の命を守る」を合言葉にこの石碑を建てました。ここは津波が到着した地点なので絶対に移動させないでください。もし大きな地震が来たらこの石碑よりも上に逃げてください。逃げない人がいても無理やりにでも連れ出してください。家に戻ろうとしている人がいれば絶対に引きとめてください。今、女川町はどうなっていますか。悲しみで涙を流す人が、少しでも減り笑顔あふれる町になっていることを祈り信じています。」と書かれている。
今はいのちの教科書づくりをしている。今の活動は、地震や津波がきたことを見たので、やらなければという思いから始まっている。今、小学生や中学生の皆さんが思ったことをやってほしいと思う。
(木村さんのお話を受けて)佐藤さんの中学校では、リアルな避難訓練を始めた。震災当日、火花が
散り、 放送が使えなくなった。それまでは、放送で避難訓練をしていた。避難するはずの体育館の前は、
ガラスが 割れて散らばり通ることはできなかったという。震災後、子どもたちはどうやったらよかったの
かと考え始めた。 こういうことは大切であったという。
(木村さんと佐藤さんがコラボしながら)「石碑にかかるお金が1千万かかることにどう思ったか」と聞かれた木村さんは「無理だ」と思った。でも、子どもたちは駅前で募金活動を始め、1千万集めた。佐藤さんは、子どもたちの行動力に驚いた。
〜質疑応答〜
第2部は、佐藤さんと木村さんに対して、小・中学生、そして一般の方からも数多くの質問や意見が
寄せられ、大変有意義な 講演会となりました。
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