〜地域防災講演会〜

(公財)三重県建設技術センター主催、伊勢市、三重県県土整備部後援による

「あの日を語ろう、未来を語ろう」を1月25日(金)伊勢市「ハートプラザみその」

にて開催し、地元伊勢市御薗町の住民、御薗小学校、御薗中学校ほか361名の

 皆様にお集りいただきました。

   講師には、スマートサバイバープロジェクト 特別講師 佐藤敏郎さんと

学生語り部 木村圭さんをお迎えし、お話をしていただきました。

   講演の第1部は、佐藤さんと木村さんの掛け合いによる講演となりました。

 

〜講演内容〜 

  佐藤さんは、宮城県石巻市のご出身で、震災当時は石巻市女川町の中学校教諭をされており、

震災当日、中学校の体育館で卒業式の準備をされていた。

  災害は、人間の都合ではなく、地球の都合でやってくる午後2時46分に地震が発生し、

午後3時22分頃津波が襲来。建物がおもちゃのように流されていったとのこと。

   佐藤さんの次女の通っていた小学校は、大川小学校。3月14日、佐藤さんは大川小学校へ

家族とともに船に乗って行かれると、次女は他の子どもたちと一緒にブルーシートの上に

寝かされていた。

  女川町は、10人に1人が亡くなっていた状況。でも中学校は、4月に教科書も制服も

何もない状態で再開した。色々問題はあったが、何も無くなった町に子どもたちの

声が聞こえるのは、町の人たちにとっても再開してよかったと佐藤さんはい

   中学生の子どもたちに俳句を作らせることになり、佐藤さんは当初反対したが、

子どもたちは、俳句を指折り数えながら、作り始めた。

「ふるさとを 奪わないでと 手を伸ばす」

「ただいまと 聞きたい声が 聞こえない」

「みんなの前 笑えているかな 自分の顔」

「見たことない 女川町を 受けとめる」

  子どもたちの素直な思いが詰まっていたという。

  母を亡くした子どもの俳句。「逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて」

全員が提出したそうだという。半年後にもう一度俳句を作ってみた。

「弟と 久しぶりの 大喧嘩」

「あの人が 帰ってきた 夢をみた」

 少しずつ回復してきている様子が分かった。

 そして母を亡くした子どもの俳句。「受験生 私の夢を 届けるために」と詠んだ。

兄弟を亡くした子どもの俳句。

 ・5月「青い空 見まもっていてね いつまでも」

 ・11月「青い空 こっちは元気で やってるよ」

  毎年、8年経った今でも俳句を女川町では俳句を詠んでいるという。

 高校生になった子どもたちにあの時の俳句はどうだったのか聞くと、言葉を失って

いた当時、説明しなくてもいいからよかったと言っていた。津波や死などの言葉を使って

俳句を詠んだ子どもはいなかった。

そして女川町では、子ども達を中心に津波の話を始めた。

 

 木村さんは、宮城県女川町の出身で、震災当時は小学6年生。震災で当たり前が当たり前じゃ

なくなったという。小学校の卒業式には避難していて出席できなかった。4月12日、中学校に

入学した。中学校では、がれきを見せないように授業中カーテンを閉めてしていたが、社会科の

先生が急にカーテンを開けて、今、「女川町のために何ができるのか考えてみよう」と言った

という。窓の外にはがれきのしかなかった。子どもたちは考え始め、津波の対策案を考えて町議会

や町長に発表することにした。その対策案は、

@非常時のために普段から絆を深める

A高台に避難できるまちづくり

B経験したことを記録に残す

@絆を深める・・・地震が来たら高台に逃げるのが当たり前だと思っていたが、逃げない人もいる。

逃げるためには、普段から逃げるようにコミュニケーションを取っていたらいいのではないか。

小中学生と高齢者が中心となって絆を深め、作る活動をする。

 これは、木村さんの友だちのおじいちゃんが地域の人を避難させようとしたが、逃げず一緒に流れて

亡くなったからだ。

 A避難できるまちづくり・・・いざという時に避難できるようリアルな避難訓練

女川町は海の街。海を嫌うのではなく、共存できる街にするために、観光客でもわかるようにする。

B記録に残す・・・震災遺構は残したい。戦争遺構と同じように知るきっかけとして、震災のことを

見て理解できるように残したい。そして以前から石碑はあった。ただ、道路拡張工事などで石碑が

動かされてしまった。石碑には、「ここから下に建物を建てるな」と書いてあった。これでは意味が

ない。正しい記録、津波の到達点の記録を残すために、女川町の21箇所すべての浜に石碑を建てようと

している。現在18か所の石碑が竣工している。残り3か所についても、建てていくことになっている。

すべての石碑建立には、1千万以上かかる。石は地元の石材店が寄付してもらったが、刻字するためには

1千万以上かかる。それを女川町住民の寄付により、約半年で集めた。

  石碑には、「千年後の命を守る」を合言葉にこの石碑を建てました。ここは津波が到着した地点なので絶対に移動させないでください。もし大きな地震が来たらこの石碑よりも上に逃げてください。逃げない人がいても無理やりにでも連れ出してください。家に戻ろうとしている人がいれば絶対に引きとめてください。今、女川町はどうなっていますか。悲しみで涙を流す人が、少しでも減り笑顔あふれる町になっていることを祈り信じています。」と書かれている。

  今はいのちの教科書づくりをしている。今の活動は、地震や津波がきたことを見たので、やらなければという思いから始まっている。今、小学生や中学生の皆さんが思ったことをやってほしいと思う。

    

(木村さんのお話を受けて)佐藤さんの中学校では、リアルな避難訓練を始めた。震災当日、火花が

散り、 放送が使えなくなった。それまでは、放送で避難訓練をしていた。避難するはずの体育館の前は、

ガラスが 割れて散らばり通ることはできなかったという。震災後、子どもたちはどうやったらよかったの

かと考え始めた。 こういうことは大切であったという。

 (木村さんと佐藤さんがコラボしながら)「石碑にかかるお金が1千万かかることにどう思ったか」と聞かれた木村さんは「無理だ」と思った。でも、子どもたちは駅前で募金活動を始め、1千万集めた。佐藤さんは、子どもたちの行動力に驚いた。

 

 

 〜質疑応答〜 

   第2部は、佐藤さんと木村さんに対して、小・中学生、そして一般の方からも数多くの質問や意見が

寄せられ、大変有意義な 講演会となりました。

 

ページ上部に戻る

戻る